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まっとうな建築家が…といったら語弊あるか? 夢と建築の関係について語った本です。とはいっても夢について語られている他人の文章を建築家の視点で分析するんではない、自分の夢を分析するのです。変わった人だよなあ。
ちなみに略歴を紹介すると… 1916年、大分県生まれ。39年、東京帝国大学工学部建築学科卒業。56年、「建物の使われ方に関する建築計画的研究」で工学博士号取得。東京大学名誉教授。筑波大学副学長、九州芸術工科大学学長を歴任し、89年から神戸芸術工科大学学長。80年、紫綬褒章受章。87年、日本建築学会・大賞受賞。 主な著書に『建築計画の研究』『超高層建築1、計画編/第5章』『建築計画学への試み』(以上鹿島出版会)、『建築計画概論(上):地域施設計画原論』(コロナ社)、『病院管理体系第6巻・』(医学書院)などがある。 なんか勲章とかもらってるし。 最近思うんですけど、建築の人って、けっこう自由なんですよね、発想が。こんなこと言うと叱られるかもしれない。でも、正直な感想だ。小説家のほうがうよほど扁平な発想だったりする。これってもしかすると、発想や体験のスケールや速度と関係しているのかもしれないな。 建築的思考、建築的想像、建築的体験、建築的感動っていうのは、たとえば文学的云々とはまた違ったものなんでしょうね。感受している人間自体にそんなに差があるはずはない。むしろその後に選んだ人生の道筋で得られた差でしょうか。 僕は小説や詩について考え、表現することが書くという行為においてもっとも自由で、豊かであると思い込んでいたのですが、どうもそうじゃないぞ、むしろいわゆる文学者以外の人たちが、書くことの伝統にあまり縛られずに、少なくとも書くことを専門としている人たちよりもフリーに行っているのではないかと最近考えているのであります。 というか、意識してそう読んでいるのではなくて、最近読んできた本を振り返ってみて、事後的に考えているわけですが。 印象に残った文章をいくつか。 新しい環境を熟知した環境との類似性をもってわがものにしようという働きは、夢の中だけではなく、昼間でも絶えず働いているということなのだろう。われわれは無意識のうちにh上に柔軟な類推を行っている。たおえば、既に熟知した建物と基本的に類似した空間構成をもつ建物は、外見的にはかなり異なっていても、なじみやすく受けいられることは、もっと重視されてもよいのではないだろううか。 「原環境」(成長期の環境)は「現環境」(現在の新しい環境)に働きかけ、類似性によって強引にでもわがものにsることによって、「私」は「現環境」に落ち着くことができる。これが新たな環境に「住みつく」ことで。そこに安定した場を見出して「安住する」のだともいえるだろう。新しいかんきょうに直面しての空間的把握(あるいは「消化作用」)の絶えざる働きかけは、覚醒時に無意識行われることもあるが、その根は深く無意識の中にあり、とくに夢に顕著に現れるのではないだろうか。 (ミスェル・ジュヴェーを引用して)「REM睡眠には非常に古い動物の眠り方が残っているといわれていますが、そのREM睡眠の際に蘇る人間の原初の記憶が、自宅を見せるのではなかというのです。狩りなどに出かけたときにかきたてられる一種の帰巣本能、つまり住処にも戻れば安全が護られるという原初の記憶が、夢の中で自分の生まれ育った場所を見せるというわけです。 (カフカの売春宿の夢を引用して)「複数の空間が連なる旅館的、迷宮的建築が夢の中ではかなり普遍的らしいことが想像できる」 「旅館的、迷宮的建築」っていうのは僕の夢にもしょっちゅうでてきます。旅先で奇怪な建物群に迷い込むというね。ぐちゃぐちゃっとしたスラムのような複合建築の中をさまようこともよくある。建築が増殖するっていうイメージ、嫌いじゃありません。っていうか、現実にもたまにありますよね。戸建ての家に好き勝手に屋根とか小屋とかをつけて、どんどん増えていくっていうの。外から見てもいったいどういう構造になっているのかさっぱりわからないという。民家というか、一般庶民が作る奇妙な建築って面白いですよね。狙ってないところが無意識的で、ショッキングだ。
by 42_195km
| 2009-02-11 15:25
| 本三昧
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