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新シリーズです。だらだらと書きます。テーマは音楽と表現について。
そもそも音楽と表現って、どんなふうにかかわってきたのでしょうか? というか、音楽と有名性、無名性についてととりあえず、言いかえる。作業的に。 音楽は、表現です。表現ではない芸術はありえないです。問題は、「それを表現しているものは誰か?」、です。 「作曲家」という概念が生まれたのは、音楽という長い歴史からみるとごく最近で、しかもごく限られた地域のことでした。ヨーロッパですね。 その曲が誰の「表現」であるのか?ということが問題にされるようになったのは、18世紀に入ってからじゃないでしょうか? モーツァルトの時代ですね。17世紀、バッハがいましたが、バッハの音楽は宗教音楽であって、彼の音楽ではない。バッハが優れた曲を作るということは認められていましたが、優れた音楽ではなく、優れた宗教音楽であった。つまり、乱暴にいうと、職人であったわけですね。近現代的な意味での表現者というよりもむしろ。 それが18世紀、19世紀と時代を経るに従って、宗教という制度からはずれて、個人の表現としての音楽、というのが現れてくる。このあたりは美術ともリンクしているし、哲学とも関係しているですね。「個」の発見が芸術表現におけるテーマになったわけです。マテリアルから身体に移動したって感じです。 で、「作曲家」という存在が自立性を獲得するわけです。誰それの曲だから、聴きに行こうっていうふうにね。 それが現代まで続いている。 その影響は他の国にも及んでいます。たとえば日本。 「作曲家」という存在は、明らかに、ヨーロッパ的音楽観を引きついだものです。ぶっちゃけ、江戸時代に作曲家はいたか? いたでしょう、もちろん。でも、名前は残っていないですよね。曲は残っている、しかし、誰が作ったかは残っていない。調べればわかるでしょうけど。 っていうか、そもそも、江戸時代より以前の、日本の音楽って、何かご存じですか? 雅楽、いわゆる民謡、小唄や端唄など、あと、能の謡を入れてもいいでしょうが、ひとつでも、作曲家の名前は浮かぶでしょうか? 僕は浮かばない。知らない。 それが明治時代になって、ヨーロッパ的な音楽観を移入させる過程で、「作曲家」っていうのが地位を得るようになった。ヨーロッパ的な音楽観を「めざすべきもの」として信奉してきたわけですから。 でも、ヨーロッパヨーロッパといっても、それはごく一部の宮廷の世界とその延長の話であって、庶民の歌については誰の曲なのかわからないものがほとんどです。あの「ダニー・ボーイ」でさえも、作者不詳です。 つまり、「作曲家」、誰が作った表現であるのか、端的にいえば、誰の表現であるのか、ということはそもそも音楽を存在させる必要条件でも十分条件でもなかった。少なくとも歴史的にはそうだった。それをまず、確認する必要がある。 美術や文学については、現存している作品で作者の名前は明らかなものが多い。「源氏物語」の紫式部とかね。美術だって、飛鳥時代の鞍作鳥とかね、名前が残っている。 じゃあ、どうして音楽の場合は残らなかったんでしょうね? 日本だけじゃない、他の国も似たりよったりです。 ヨーロッパをのぞいて、音楽というのは「個人の表現」というか、有名性とは無縁なところにまずあった、ということだと思います。少なくとも、資料として残っていない。一般的ではない。 作曲家という職能なり、職業なりが発生して一番喜んだのたは誰か? それは、作曲家です。 (この項目、適当に続く)
by 42_195km
| 2009-08-26 01:25
| 絶滅する音楽
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