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本。まとめていきます。
「戦闘機1機で学校は何校作れるか?」(関根一昭) 「あなただったらどっちを選ぶ!?」とかって、そんなの決められるわけじゃないじゃないですか。戦闘機が必要な人は戦闘機を選ぶし、学校が必要な人は学校を選ぶさ。たとえば「特上の鰻一人前で、マクドナルドを何個食べられるか?」とかって考えてどんな意味があるのか。こういう発想って、わりとテロリズムに近いような気がする。★ 「世界不思議百科 総集編」(コリン・ウィルソン) いつ読んでも楽しいんだけど、コリン・ウィルソンってなんのためにこの仕事をやっているんだろうか? 不思議である。この本に出てくるダウジング、僕もたまにやります。よく物をなくすので。糸の先に5円玉をぶら下げ、頭の中に失くしたものを思い浮かべながら、部屋の中をうろうろする。やがてあら不思議、5円玉がゆらゆら揺れてくる。あとはその揺れの方向を探すだけである。地雷探知機みたいなものです。★★ 「変人 埴谷雄高の肖像」(木村俊介) 恥ずかしながら「死霊」をまだ読んでいない。白状します。ずいぶん前にNHK教育で彼のロングインタビューが放送されていた。ワインを飲みながら、浴衣姿でえんえんと空虚について語る老人。エンジェルだ。この本は埴谷の友人や身の回りの知人、彼に影響を受けた作家などにインタビューをしたもの。読みながら、「いったいぜんたい「死霊」ってどんな本だ?」って想像するのが一番楽しいかもしれないです。★★★ 「自走式漂流記 1944~1996」(椎名誠) 近年は不倫事件やストーカー事件なんかですっかり評判を落としてしまった椎名誠ですが、若いころはお世話になりました。いやあ、「怪しい探検隊」はよかったよねえ。「どんなにまわりに人がいても、孤独」。椎名誠ってそんな感じがする。読むとさびしくなります。なんとなく。★★ 「顔をなくした少年」(ルイス・サッカー) 「穴 -HOLES-」がぶち面白かったサッカー。近所に住む魔女のような老女からいたずらで杖を奪ういたずら少年たち。老女は「おまえのドッペルゲンガーがおまえの魂を吸い上げてしまうだろう!」と叫ぶ。呪いをかけたのだ。どうです、面白そうでしょ? でもなかなかこの呪いってのが始まらず、途中で放り出してしまった。すまん。主人公がクラスメイトの女子生徒にあこがれる場面。「そばかすが何個あるかはわからないけれど、ちょうどいいくらいの数だ。ときどきデーヴィッドは、美しい牧場で彼女の隣に座り、そばかすを数えるという空想にふけった」という文章は素晴らしい。ちょっとピンチョンみたいだ。★★ 「ブータン小傾 雨季千五百km移動行き」(鈴木正行)と「タネも仕掛けもございません 昭和の奇術師たち」(藤山新太郎)はともにナイスなネタなですがバッドな文章なんで挫折。★ 「旅に溺れる」(佐々木幹郎) 「雨過ぎて雲破れるところ」についで2冊目の佐々木幹郎。主に旅にまつわる文章を集めたもの。筆者がアンナプルナ連峰を一周したときに経験した標高と酸素をめぐるくだりが白眉。4つの段階にわかれている。 第1段階は標高3千メートルまで。「平地にいるのとまったく変わりがない。わたしは山道を毎日八時間ほど歩いて、日本から離れた気楽さを堪能していた」。 第2段階は標高4千メートル。「この段階で頭に浮かぶのはすべて抽象的なことばかりである」。すっかり忘れていた子どものころを記憶を思い出したり、だんだんおかしくなってくる。 第3段階は標高5千メートル。酸素分圧は地上の半分。判断力は衰え、眠くなる。眠ると凍死してしまうから、歩く。ちょっと歩いて深呼吸する。「その瞬間だけ、自分の身体の輪郭がはっきり意識できる、という状態が続く」 筆者はそして峠を越え、4千メートルの高地でキャンプを張り、翌日、一気に1千メートル下る。 「徐々に緑が見えてくる。わたしのまわりに霧が立ち込めた。酸素が濃くなっていくのが、身体で感じられる。一歩前へ出るたびに、ほどけるような解放感が身体の奥底から満ちてくるのだ」 そのときである。 「思いもかけない、四段階目が襲ってきた。わたしの脳は、山を登るときと同じように、ものを考えるということを再開したのだが、その瞬間、涙がこぼれ出たのだ。悲しくも何ともなかった。ただ、頭の中に何かを思い浮かべるだけで、わたしは泣いた」 「まわりを見回すと、右側にアンナプルナの頂上があり。左側にマナスル。ともに標高八千メートル。わたしのいた谷底とのあいだに、五千メートルの標高差があった。どこを見まわしても、生き物はわたしだけだった。壮大な自然の風景の中で、豆粒のようなわたしという動物が、一匹、歩いているのである。その豆粒のような生き物の中に、さらに豆粒のような脳があり、そいつが何かを考えようとしている」 筆者は2時間のあいだ、大声をあげて泣きながら、歩いたそうだ。 「豆粒のような生き物の中に、さらに豆粒のような脳があり、そいつが何かを考えようとしている」、なんとせつなく美しい文章だろう。「考えている」じゃなくて、「考えようとしている」というところがいい。この瞬間、筆者の魂は筆者の身体を離れ、仏の視点に立っている。そういう文章である。こういう文章を僕は書きたい。 長くなるので引用しないが、四川の大震災をめぐる、中国の詩人との交流を描いた文章も素晴らしい。あとがきも素晴らしい。読んでみてください。★★★★
by 42_195km
| 2011-03-04 17:47
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