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多和田葉子の「言葉と歩く日記」、「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」を読む。並行して読んだ梨木香歩の「渡りの足跡」もそうだが、女性の作家はときとして過剰に身体性を排除する。簡単にいうと、女性だからということを強く隠ぺいしようとする。無意識なのか、意識的なのかはわからないけれど。私は女性である前に人間であるということなのかもしれないが、そんなのは当たり前のことで、そもそも男性にだって女性性はあるし、女性にだって男性性があり、それらがひと塊となって一人の人間としてある。たとえば僕が自分の中の男性性のようなものを削除しろと言われても困る。無理だ。同時に、女性性を放り投げろと言われても断る。無理だ。
多和田や梨木の書くエッセイは身体性の非常に希薄だ。彼女たちの体験した情報を外部化した連なりにしか読めない。小説はとても面白いのに、残念なことである。 想像するに自分の女性性(心についても、体についても)がにじみ出てこないように蓋をしちゃっていて、でもその女性性っていうのはくっきりと切り取れるようなものじゃなくて、あっちから出て、こっちから出て、結果として全体を抑圧しちゃっているんじゃないかな。 その点、柴崎友香とか、川上未映子とか、岸本佐知子あたりはそーゆー前時代的な抑圧がなくて、よい。 ★ 名古屋市美術館で「マインドフルネス! 高橋コレクション展 決定版2014」を見る。あらためて少なくとも日本においては表現において現代美術が圧倒的な先鋭さと豊潤さをもっていることに気付かされる。 と同時に、冒頭に設置してあった草間彌生、会田誠、村上隆らが同時代、もしくは後進に与えている影響の強さも感じられた。良くも悪くも。 クールジャパンっていうか、サブカルな感じからとっとと脱出したほうがよいような気もするが、美術作家にとってはく居心地がよいのかもしれない。かつて多かった立体作品やインスタレーションはかげをひそめ、むしろ徹底的に描きこんだ平面作品ばかりが目立った。これも前述の三者の影響だろう。 また、これもひところ多かった「メディア」を使った作品はひとつもなかった。CGとか、あの手のやつですね(笑)。みんななにしてるんだろうなあ。 ★ ひるがえるに、わが音楽はもう絶滅の危機に瀕している。少なくとも日本ではそうである。NHKFMの「現代の音楽」で紹介される日本の若手の作品はすべてゴミである。作家が悪いというよりも、現代音楽業界そのものがひどいのだろう。ときどき芥川作曲賞の演奏会を放送しているが、聴衆の拍手も極めて少ない。聞いている人がいないのだ。おそらく、関係者しかいないのだろう。 そういう状況を、現代音楽の関係者はどう思っているのか? たとえば3.11について、文学も、美術も、映画も反応した。それはどちらかといえば情弱である僕にだって伝わってきた。しかし、現代音楽については皆無である。どういうつもりか? 社会性がなさすぎるのではないか? 大友良英の一連のオーケストラ活動(僕も息子と参加したことがある)くらいしか、まともなものは見当たらない。そして大友は現代音楽の作曲家ではない。在野のノイズ系ミュージシャンだ。 このことをおそらく、日本の現代音楽のやつらは恥じていないだろうな。
by 42_195km
| 2014-06-08 09:37
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