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9月13日(土)
今日は朝、走った。 毎日、帰宅後の夕食までの時間に走っていたのだが、仕事やら酒飲みやらでどうしても休みがちになる。究極にはやはり、「朝、早起きして走る」というのがベストだとは思う。 早起き、苦手です。 それに朝、1時間の運動をしてから仕事に行くというのは可能なのか? たいした仕事をしているのではないが、へろへろぴーになるのでは。 しかしまあ、なんにせよ、やってみないことにはわからないのである。 朝の8時から9時過ぎまで公園を走る。10km行ったかな? 1時間を走るというのはなかなかの体験である。やはり、退屈だ。 退屈さを紛らわすのは昨日買った携帯ラジオです。昨日の夜はNHKテレビのニュースなどを聞きながらという味気ないものだったが、土曜日の朝は軽快である。 そうです、ピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」ですね。9時までやってる。そのあとはゴンチチの番組です。よきかなよきかな。 左足のふくらはぎが痛む。たぶん、下り坂でやってしまったんだろうな。もう歳なのである。 右足の親指の付け根もやや痛い。これも数年前からたまに違和感がおきる場所。 どっちも僕にとっては弱い部分なのだろう。 このまま走り続けているとどんどん痛くなるのではないかと不安な気持ちで走る。たしかに少しずつではあるが、違和感が広がってゆくのがわかる。 さて? 答えは簡単である。弱い部分は鍛えればいいのだ。 ということで、走ることにする。 帰り道、近所のビルにネパール料理屋が開店しているのを見つけた。 僕が住んでいる町は某市の某高級住宅街で、こざかさしいというか、金持ちおばさん文化に汚染された店が軒を連ねているつまり、趣味の悪い服屋とか化粧品屋とか宝石屋とかギャラリーとかですね。客なんて来なくても別によい、みたいな感じの店ばかりなのだ。 家賃が高いから若い人が住みにくいってことなんだろうけどそれにしてもなあ。 レストランもやたらに高い。ランチで5000円くらいとりやがる。もちろんいかない。 とくにうちの近くにあるビルはPOLAとかがありやがって他にも趣味の悪い宝飾だかなんだかわけのわからんショップが入っているんだ。 そこに、ネパール料理屋である。 じつによいことである。 これが小ざかしいイタリアンだとかカフェとかだったら「へん」てなものだが、「9月11日開店」なる手作りポスターがガムテープべたべたで看板に貼られていたりすると実に交換がもてるのである。 今日のランチで行ってみよう。 <今日の読書> 「オン・ザ・ボーダー 中上健次 最新エッセイ+対談 1982-1985」 ずいぶん長いタイトルだな。中身ははというと…タイトルのとおりです。対談相手は坂本龍一、村上春樹、栗本慎一郎、ビートたけし。中上が亡くなってからずいぶん経つが、死してなおよく読まれているかというとそうも思えない。熊野大学は今年いっぱいでずいぶん縮小するらしい。 この本を読んだのは前の記事で村上春樹と中上健次の対談についてふれたのがきっかけです。図書館で「國文学」のバックナンバーを調べていたら、この本が出てきたのだ。同じ対談がまるっと収録されている。知りませんでした。 さて、こっからは上の記事から続けて読んでほしい。 「兄貴分の中上が弟分の村上にがんがん突っ込んでいた覚えがある。もちろん、村上がたくみにかわすわけです。」と書いてしまったが、対談を再読するとぜんぜんそんなことはなかった。むしろ温かい目で見ている。マイペースで喋る村上に中上のほうがよりそっている感じがする。 これは他の人との対談でも同じ。エッセイになると過激に切り込む…というと、実はこれもそうではない。 よく考えると、無頼だの、肉体派だの、まるで暴力人間だったかのように中上は言われているが、小説にせよエッセイにせよ、中上の文章はデリケートで、むしろ強さよりも弱さの部分で成り立っているような気がしなくもない。 村上春樹はこの対談の中で、中上の「枯木灘」と「岬」に影響を受けたことを告白している。それらを読んで「小説としての根源的な力を身につけていきたい」と思い、「羊をめぐる冒険」に至る(村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」も意識していることは村上龍との対談集、「ウォーク・ドント・ラン」に詳しい)。 再引用になるが、中上が詩人の佐々木幹郎に「雨が降っている、と最初に書くとするだろう。その次に何を書くか。それで文章のコードが決まる。主人公の心理状態を説明する奴はアホだ。しかし、たいていはそうやる。樹木のことを書く。あるいは目に見える人間のことを書く。その書き方の中から小説が始まるんだ」と語ったが、この書き方は村上春樹の書き方にそっくりあてはまる。内面を書かずに、外面を書くという方法論は、おそらく中上健次から得たものではないか。中上は村上が経営していたジャズバー、「ピーター・キャッツ」の常連であったことを考えると、十分にありえる。 二人のアメリカ小説をめぐる対話も面白い。「アーヴィングはよい」という点では一致するが、中上はフォークナーやオコナーを薦め、村上はカポーティやバーセルミについて語る。 この対談が収録された「國文学」は都市的と反都市的がテーマだったが、村上も中上も互いに都市について書いていると表明している。中上は路地こそが都市であると考えている。熊野というと、修行者が駆け回る山々の連なりというイメージがあり、たしかに中上もそういうイメージ沿うような短編を書いてはいるけど、基本的には新宮を中心とした都市の小説だ。 村上はその後、「ダンス・ダンス・ダンス」を最後にポジティブな意味の都市的なものから離れてゆく。 最近作の「アフター・ダーク」で久しぶりに東京の街をとりあげたが、決してポジティブには書かれていない。むしろどうしようもなく腐りきった世界として描いている。「海辺のカフカ」でも早々に東京を離れ、舞台を四国に移している。「東京奇譚集」の東京も、マンションであったり、区役所の一室であったり、タクシーの客席であったり、暫定的な舞台設定にすぎず、そこに物語が求めている以上の象徴性をたくしてはいない。 むしろ、人間の外部にある都市ではなく、内部にある都市的なものを扱っているような気もする。 フォークナーが「遅れた地帯が単なる遅れじゃなくて、文学においては宝物みたいな形になる。遅れがヴァリューとして存在する」ことをマルケスなどのラテンアメリカの作家に教えたと、中上は村上との対談で語っている。これはそのまま、中上にも当たるのだろう。というか、自分のことを言っているのだろう。何を書いていいのかわからないところからはじめるつらさみたいなことを語る村上に対して、「あと百年かけても書ききれないみたいな感じさ(笑)」と中上は豪語していたが、果たして本音ではそうだったのか? 「マテリアルのダイナミズム」と村上は中上をほめているし、中上もそれを認めている。 しかし、そのマテリアルのダイナミズム、つまり、路地や熊野というマテリアルはそんなに丈夫なもの、長続きするものではなかったのではないか。 僕は中上健次のよい読者(出版されるたびに自費で本を買い、丹念に読む読者のこと)ではないので、ひととおりしか読んでいないが、やはり長編にせよ短編にせよ、デビューした70年代後半から、80年代前半にかけてが作家としてのクライマックスだったような気がする。 短編集でいうと、「千年の愉楽」、長編でいうと、「地の果て至上の時」あたり。 思うに、「中上=熊野」というイメージが、ひとつの商品として有効に機能しはじめるのと、小説家としての中上健次が中心を失いはじめるのが、リンクしていたんじゃないか。 「中上=熊野」というイメージは、小説の外へとどんどんあふれだし、ついには熊野大学の創設へと至る。 ある程度名を成した作家が、学校なり塾なりを作りたがるというのはよくあるパターンだが、たとえば井上光晴の文学伝習所がただファンから金を搾り取るための装置に堕していったのとは違い、中上健次は本気だった。 熊野にまっとうな大学を作り、演劇祭や作家会議を行い、果ては病院まで建てるという構想があった。柄谷行人、浅田彰、渡辺直己らの批評家たちが名を連ねた。都はるみまで呼んだ。 中上の死後、熊野大学創設をめぐる活動を滑稽と評した四方田に対し、あれは「友愛」だと柄谷は反論した。 熊野大学は今でも継続しているそうだ(四方田も参加している)。さすがに病院建設までには至ってはいないが。 ちなみに「オン・ザ・ボーダー」では栗本慎一郎との対談が一番面白い。栗本、暴露しすぎです。
by 42_195km
| 2008-09-13 15:35
| 走ること
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